N.Yの警察官

米国で最初に専門職としての警察隊ができたのはニューヨーク市です。
この都市の富が増えるにつれ、当然ながら犯罪も増えました。
1830年代までには、一般家族でも新聞によって最新のニュースを知ることができました。
その結果、民衆の間で犯罪に抗議する気運が高まり、1845年にニューヨークに警察隊ができました。

警察は必要悪?

その出来事がありニューヨークとロンドンの市民は、お互いの警察に興味をそそられるようになりました。
米国人は発足当初、政府が武装部隊を持つことに相当な不安をおぼえました。
民衆の中には政府の権力が強まらなくなるのではないかという不安から、国を動かし米国憲法修正第2条が採択されました。

内容は「武器を保持し携帯する人民の権利」を保障するものです。
そのため警察も銃を必要としました。
やがて警察が銃を使用するようになると、巷で撃ち合いが起きるようになり、少なくとも一般の印象では、それが米国の警察官と泥棒を特色づけるものとなってしまいました。
米国で銃の携帯が容認されている別の理由は、米国初の警察がロンドンとはかなり異なる社会に生まれたという点にあります。
主にヨーロッパからの大勢の移民、そして1861年から1865年にかけての南北戦争が始まってからはアメリカ黒人が流入したため、人種暴動が起きました。
警察は、より強硬な態度で国民と接する必要を感じました。

このような時代背景によって警察の存在は必要悪とさえ意識されるようになりました。
人々の中には警察の行き過ぎを、秩序と安全を保つためとして期待をしていました。
そしてたまにみられる行き過ぎた行為はあるものの、警察の努力によって目をみはるような結果が生じることも多くあります。

人員削減をした隙に犯罪が急増した

ニューヨークは、昔から世界で最も危険な都市の一つとみなされていました。
1980年代の末までには、警察は支配力を失っているように見えました。
財政悪化も重なり、市当局は経費削減のため給与の減額、人員削減をせざるを得ませんでした。

その警察の弱体化の隙をつきスラム街の麻薬の売人が動き出し暴力行為が増加しました。
スラム地区の住民は、毎晩銃声を聞きながら眠っていたといいます。
1991年のある日大きな人種暴動が何度も発生し、警察自体も不平不満を表明する為に派手な抗議行動を開始しました。しかしその年に就任した新しい警察署長は、なんとか警察官にやる気を起こさせたいと考え、分署ごと会合を行い戦略を練りました。

ジェームズ・ラードナーとトーマス・ラペットは、共著「ニューヨーク市警」の中でこう説明しています。
「刑事部長や麻薬局長は、分署長が新聞で読むことはあっても、顔を合わせることはめったにない人たちだった。それらの人たちが一堂に会して、一気に何時間も協議するようになった」。

戦略を練った結果

犯罪件数が急に減り始めました。
伝えられるところによると、殺人事件は、1993年のほぼ2,000件から1998年の633件へと次第に減り、35年間で最低を記録しました。
ニューヨーク市民は、それを奇跡だと言うようになりました。
届け出のあった犯罪の件数は、過去8年間で64%も減少しました。
この改善はどのようにして成し遂げられたのでしょうか。

2002年1月1日のニューヨーク・タイムズ紙は、コンプスタットが成功の鍵の一つであることを示唆しました。
それは、「問題が現われたらすぐにそれを見つけて対応するために分署ごとの統計を毎週検討することを含む犯罪追跡システム」です。
元警察本部長のバーナード・ケリックはこう述べました。「犯罪がどこで起きているか、なぜ起きているのかを見て、それから部隊と設備を再配置し、その地域を重点的に取り扱うようにしました。
そのようにして犯罪を減らしたのです」。

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