イギリス

英国人は専門職の警察隊を持つという贅沢ができた最初の国民に数えられています。
彼らは、自分たちの社会がよく組織されることを望みました。
1829年、内相のロバート(ボビー)・ピール卿は、議会を説得してロンドン首都圏警察を承認させ、本部をスコットランドヤードに置きました。

人助けもする警察官

その警察は当初、酔っ払いや路上賭博を厳しく取り締まったため人気がありませんでしたが、やがてだんだんと人々から好まれるようになりました。
1851年にロンドンは、世界の国々を大博覧会に招待し、英国産業の業績が称賛を受けるようにしました。
世界中から訪れたゲストは、整然とした通り、そして酔っ払いや売春婦や浮浪者がいないことに驚きました。
手際のよい警察官が大勢の人々を誘導し、訪問者の荷物を運び、道路を横断するのを助け、年配の婦人がタクシーに乗るのを助けることさえしました。

ですから、外国からの訪問者だけでなく英国の人々までもが、「英国のボビーはすばらしいではありませんか」と口々に賞賛したのも不思議ではありません。
犯罪防止の効果が期待できるように思われたので、1873年にチェスターの警察本部長は、プロによる犯罪が事実上なくなる時を思い描きました。
警察は、救急車と消防車の活動も組織し始めました。

靴や衣服を貧しい人々に支給するための慈善事業も取り決めました。
少年クラブ、小旅行、ホリデーホームを組織した所もありました。
もちろん、新しい警察にも、懲戒を必要とする汚職や残虐行為の問題がありました。
しかし、ほとんどの人は、最小限の人数で秩序を維持することに誇りを持っていました。

銃器を使おうとしなかった

1853年、ランカシャーのウィガンの警察は、ストライキ中の鉱山労働者の暴動に立ち向かわなければなりませんでした。
部下わずか10人の勇敢な巡査部長は、鉱山所有者の銃器を頑として使おうとしませんでした。
明らかになったその精神の例証となるのは、ヘクター・マクラウドが1886年に父に倣って警察官になる時に受け取った手紙です。

「英国警察」にこう引用されています。
「厳しい態度を取ったら、民衆の共感を失う。
……わたしは民衆を第一にした。
なぜなら警察は地域社会の僕だからだ。
しばらくの間、お前はその一員となる。
お前の職務は、上官だけでなく民衆をも喜ばせることなのだ」。

ロンドン警視庁で警部補を務めて退職したヘイドンはこう述べています。
「いつも自制を働かせて行動するよう教えられました。
警察の仕事がうまくいくには、地域社会の協力が必要だからです。
短い警棒は本当に最後の手段で、ほとんどの警察官はそれを在職中ずっと使おうとしませんでした」。

人気ドラマ「ドックグリーンのディクソン」

21年間続いた人気テレビドラマ、「ドックグリーンのディクソン」も、英国ボビーの好ましい印象に一役買いました。
主人公は、自分の巡回区域に住む人すべてを知っている正直な巡査でした。
警察はそのイメージに添うよう励まされたことでしょう。
それと同時に、それは確かに英国の警察好きを奨励しました。

英国における態度は1960年代に変化し、国を誇りとする気風が廃れ、権威を疑問視する気風が生じました。
地域防犯活動で世論の支持を得るための努力が払われたにもかかわらず、1970年代に汚職や人種差別の報道によって警察のイメージはかなり傷つけられました。
もっと最近になって、人種差別や有罪判決のための証拠捏造が告発されるようになって以来、警察は綱紀粛正にいっそう真摯な努力を払ってきました。

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